自意識と自慰で息が詰まる
休みの前の日は無性に走りたくなる。
というか走らなきゃってなる。
なぜ走るのか。

気持ちが、気持ちだけが体力だけが有り余って、働いていても前に進んでいない気がする現在から前に進みたくて。なのかな。
もがいて、でもおれは確実に前に進めるんだ、みたいな。

ストレスで今夜は思いっきり走った。
雨の中走った。7キロ一度も止まらずに走った。どうしても止まらずに走りたかった。あの時と同じ感じだ。自転車で旅した帰り道。早く帰りたいというような。
最近5キロ走ったところで足が痛くなってそこからウォーキングに切り替えてた。歩いていても確実に前へ進むけど走るのの3倍くらい遅い。
早く、早く、辿り着きたくて。
今日はそんな気持ちが前面に出ていた。今の自分の気持ちのようだった。
今日も足が痛くなってきたけど止まらずに走った。おれが止まったらすべてが止まるんだ。歩いたら辿り着くスピードは遅くなるし、もしおれが諦めてもう歩けないとまでなればもうそこでおしまいなんだ。
こう、自転車でも、足で走っていても、これは人生のリアルさを感じる。
世界が周り続けていることと同じなんだと思った。
今僕はパン屋さんで働いてるんだけど、それがもう、一応大手だろうチェーン店なのに毎日なにかの在庫切らすだの、なんだかその日暮らしの仕事をしていて、なんなんだこの会社は?!と思った。クソだなと。
僕は今まで会社は工場のように、それぞれ担当の仕事があって、その人たちがマニュアル通りうまくこなせばなにも問題なく会社は回るんだと思っていたみたいだ。それが普通なんだと。
でも、今更気付いた。
どこの会社もそんなことはあり得なかったんだ。考えてみればそうだよなとも思った。なんでうまくいかないんだよと思ったけど、そんなこと思ってしまったのは今まで自分がそういう仕事しかしてなかったんだなと思った。僕の友人の話を聞いて、管理職になって、自分の時間を削って仕事に費やしている人がいる。もしもこの人がいなかったら会社は回らないのかもしれない。回るかもしれない。確実に会社の歯車になっている。そんな人たちが全世界で働いているんだなと思った。
結局人がやってることなんだよな。
すべてなんてうまく行ってないんだよな。
なんて思うと、前の古着屋の会社はかなりしっかりしていたなとも思えてきた。直属よ上司が凄かったもんな。さらにその上に社長がいて、神のようで。今の職場も比較してしまう。パン屋さんで職人に囲まれて、狭い、酷い世界だよ。これはただの愚痴。

だから、僕が進むことをやめたら僕は止まるし、そしたら僕は絶対に走ってないといけないと思ったわけです。絶対に止まらない。今日僕が走ったのは、例えば、大事な好きな人に一刻も早く会いたいというような気持ちだったような気がする。足が痛くても走って、でも絶対に君のところへ行きたい。そんな気持ちだったような気がする。
ああ、そうだよ。
おれはこうやって走って、君に逢いに行くんだ。
iPodからは東京事変のタイムカプセルという曲が流れた。


新しい自分に本当になれるのかな
昨日の自分が視界を曇らせている

一つずつ手にとって 重さを確かめてみる

もうすこし もうすこし あともうすこし 生きてく力がほしい
考える 考える 人になる 貴方が私を待っているから

言葉にできない感情に埋もれてく
尖った空気が声をうばってしまう

一つずつ手放して 記憶を塗り替えていく

もうすこし もうすこし あともうすこし 生きぬく心がほしい
ふるわせる ふるわせる この声に 明日を映してみるよ

手探りでも 孤独きりでも 空を鳴らして今は 走り続けよう

もうすこし もうすこし あともうすこし 生きてく力がほしい
新しい 新しい 人になる 貴方は私を待っていて もうすこし



気が狂いそうな夜を何度も越えて、お前に会いたくてそこまで行くんだ。
死に急ぐのではなく生き急ぐのさ。
傷だらけで恥を晒しても生きるのさ。

ハローマイフレンド
見ていてくれよ。