この世界の片隅に

人間は思い出に別れを告げることはないと僕は思うわけで。その中で、僕は自分のしてきたことや、やってきたことを常に笑って生きて行けるようなそんな人生を僕は一生過ごしていきたいです。

August 2019

この世界の片隅に


ブログのタイトルを変えました。

「光のなかに立っていてね」から
「この世界の片隅に」へ。


令和元年、8月。

僕のこの時期は退屈でした。
最近は週2で飲食店のバイトと、あとは自分たちで会社を作ったので家でミーティングだとか。
退屈というのはおかしいのだけれど、もう8月が終わります。

時間があれば遊びたくなり、珍しく、久しぶりに恋をしたいと思ってみたり。でも恋はしにいくもんじゃないですね。そんな感じで悶々としたりしていて、まるで高校生。
毎週フットサルして高校の同級生と毎週遊んで。そんな最近です。


全然体も疲れてないので眠たくならず、それでこの世界の片隅にを見ることになりました。突然。GYAOで無料見れたから。
たしか前に峯田がコメント寄せてましたよね。そんなのを見たことがあった気がします。ラブストーリーだとか言ってた気がします。それで観たいなとか思いつつTSUTAYAで手に取ったことがあったかな。でもすごい戦争っぽいイメージで、僕の好きなときめく感じとかなさそうって思ってきっと戻したのでしょう。

この間、なんとなーく見始めて。
そしたら面白かったです。戦争の映画だけど、あの絵の感じでやわらかく、「この世界の片隅に」という言葉がすごくわかる。戦時中の1人の人生だったり、そのなかにある愛が動くところだとか。
別にハッピーエンドなのかもよく分からず、僕はそういう映画はなんか嫌で、ララランドも秒速五センチメートルとかもなんかあんな終わり方でいいなんて思えないんだけど。
この世界の片隅には、戦時中の当日、間違いのない現実だったのかなと、受け止めるというか、自然に納得出来た感じがして、その中に夢とかときめきとかはなくて、それでも綺麗だなと、強く生きていく人間がいいなって、思えました。それで、なんとなく。

なんとなく、「光のなかに立っていてね」
なんかじゃもうないかなって思って。

これはまるで僕が主人公のようで、
偉そうに、僕自身も光を浴びたいし、僕と別れてしまった人、もう会わなくなってしまった人、今どこでなにをしてるのかもわからない人、そんな人たちにも、偉そうに、みんな「光のなかに立っていてね」みたいに思って。
そんな感じでその時タイトルにつけたんだと思うんだけど。

この世界の片隅にを見終わったあと、ふと、もうそんなんじゃないなって思って。
光のなかに立っていてねなんて言葉は誰にも聞こえないし、もう思ってもないのかもしれない。
みんなそれぞれに生活をしていて、みんな世界の片隅で生きてる。そのストーリーが続いてることが光であり、それ以上のことは別になのかな。なんだか30年生きてきた今、最近の身の回りの人たちのことを考えるとすごいそう感じました。


この世界の片隅に、よかったので観てみてください。見終わったあと原作もちょっと探っちゃいました笑






もう夏休みが終わるね。まだまだ夏休みみたいな生活は続くけど。
花火大会行きたかった。だから昨日行っちゃった。この感じ嫌だな。気が狂ってるよ。普通じゃない。恋と退屈ですね〜。つまらんのです。

おわり

君を思い出せば胸が苦しくて消えて失くなりそうだ


ペアーズ まじでめんどくさいな 無理だ〜頑張るの

夢で逢えたらの方がいいよな そういう方がいいよな 無理だ〜 それじゃ一生無理そう

BABY BABY BABY BABY 君を抱きしめていたい〜 なにもかもが輝いて手を振って〜



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